のんびりパート主婦日記 ときどき断捨離 ときどきアウトドア

ブランク10年で事務パートについたのんびり主婦の徒然日記

オーストラリアの思い出〜その2〜大陸

現地の空港では日本人エージェントのT氏が出迎えてくれた。この方 当時在住8年ほど。日本では社会派の事務所に所属する弁護士だったとか。 日本での生活が嫌になり豪州へ移住したのだとか。 奥様も日本人。シドニー北部の閑静な住宅地に中古のお宅を買って、夫婦2人で暮らす。

私はとりあえず、学校と住まいが決まるまで1週間 こちらのお宅に世話になった。これまでにもたくさんの若者を世話して来たので、ひょっこり訪ねて度々色んな人がやって来る。彼らが書き残し、書き綴るのが伝統となっているノートも何冊もあった。

T氏は話好きで、知識も豊か。京大卒というだけに、とにかく頭の回転が速い。あまりに早すぎて、舌の筋肉が言葉に追いつかず…ひっきりなしに喋るものだからツバ飛ばしまくりであった…でも、ほんとうにタメになる話をしてくださって感謝している。 T氏が言うには、来てからのこの1週間が大事なんだとか。神経が最も尖りどんなものも吸収していこうとするこの1週間が。 そして、着いて3日目。 書店で何やら地図を買い求めたT氏。ハイっと渡すと、僕はクルマで帰るから、君は自力でバスで帰っておいで〜。 ぇええ〜〜? ウチの伝統だから!と。

そういう訳で、英語もなんちゃっての、着いてまだ3日目の私はシドニーの街中に置いて行かれたのである。 そりゃあ神経も研ぎ澄まされるであろう… 知らない国の知らない街に言葉も不自由なのに置いて行かれたのだから! ともかく無事帰り着くために必死だった。 今となってはどうやって帰ったか覚えてないが、つたない英語で色んな人に地図を手に尋ねまくり。しかもあちらのバスは主要駅以外、バス停に名称はなく時刻表も無いのだ! 信じられないけど。 どこで降りていいやら見当も付かず、乗客のおばちゃんに聞いたのは記憶している。

私の初めてのオーストラリア大陸はこうして始まった。